定山渓特集!定山渓温泉などの観光情報が満載です!

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定山渓温泉写真定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)は、北海道石狩支庁管内札幌市南区(旧蝦夷地、明治以降の旧石狩国)の定山渓温泉地区にある温泉。「札幌の奥座敷」とも呼ばれている。古くアイヌに知られ、江戸時代には通行した日本人が入り、1866年に美泉定山が温泉宿を開いた。1918年に定山渓鉄道が通ったことで発展した。札幌の至近にある温泉で、市内の人々のほか、札幌観光の一環として多くの道外や外国からの観光客が利用する。札幌市の調べによれば、2003年度(4月から翌年3月)に日帰り客91万1千人、宿泊客152万8千人、計239万9千人の観光客が訪れ、宿泊客のうち3万6902人が外国人であった。また、354校が修学旅行で訪れた[1]。2006年度には、3年ぶりに240万人の観光客が訪れ、前年比110.9%となった。外国人客も7万人、前年比138%と寄与している。

歴史

定山渓温泉写真この地の温泉の存在は古くからアイヌ人に知られていた。江戸時代には、松浦武四郎が旅行中に川の中に湧く温泉に入ったことを記しており、定山渓温泉のことと知れる。慶応2年(1866年)に小樽でこの温泉のことを知った僧美泉定山が小さな小屋を作って温泉宿とした。札幌に新しい北海道の首府を建設していた開拓使判官の岩村通俊は、定山の求めを容れて1871年(明治4年)に温泉地を訪れた。岩村はここに休泊所と浴槽を作らせ、湯守の定山に米を給与した。同年本願寺街道の検分の折りにここを訪れた東久世通禧開拓長官が、常山渓と命名し、これが後に定山渓に変化した。しかし、1874年(明治7年)7月に定山への給与は打ち切られた。当時は札幌の人口が少なく、温泉は経営的にほとんど成り立たなかった。
1877年(明治10年)に定山が死んだ後、1880年(明治13年)に佐藤伊勢造が温泉の経営を引き継いだ。客が少ないことは変わらず、周りに畑を開き、川で魚を得て生計を立てた。しだいに客が増え、1886年(明治19年)に高山今朝吉が高山温泉を開き、さらに後に鹿の湯温泉ができた。
1914年(大正3年)に豊羽鉱山の開発が始まると、定山渓温泉の本格的な開発がはじまった。温泉宿は改築され、新築の旅館も増え、その他の店や家も増加した。鉱山開発に伴って定山渓鉄道が1918年に開通した。それまで一日がかりで山道を歩いた苦労がなくなり、1929年(昭和4年)には所要一時間を切って日帰りもたやすくなった。この交通の便を得て定山渓温泉は札幌の奥座敷としての地位を確たるものにした。好景気のきっかけになった豊羽鉱山は1920年(大正9年)にいったん休山したが、温泉街と鉄道は互いに支えあって順調に発展した。